『とんぼ』

長渕さんはドラマにも出演したことがあり、俳優としても評価されています。

代表作は1988年に主演したTVドラマ『とんぼ』。

このドラマでのヤクザ役が大当たりしました!

tonbo1988.jpg

主題歌の「とんぼ」も担当しています。

この頃から歌声はいっそう枯れて、歌詞もハードなメッセージを前面に打ち出したものになっていきました。

このドラマでのイメージも相まって、バイオレンスなイメージが定着していったのもこの頃です。

同時期に女性スキャンダルやスタッフへの暴行がたびたび報道されるようになって、1990年代前半にはその人気が絶頂になった反面、バイオレンスでダーティーなイメージも一緒について回りました。

「遅れてきたフォーク青年」

nagabuti_okure.jpg

デビュー当初は、痩身で長髪のフォークシンガーでした。

長渕のデビュー当時はすでにフォークブームが過ぎた後であったために、「遅れてきたフォーク青年」と呼ばれたりしたこともあったそうです。

当時は透明な声と繊細なラブソング、達者なフィンガーピッキングによるアコースティックギターで人気を博していて、現在はかなりイメージが違いますよね^ ^

髪を切ったのは1980年代半ばから。同時期に出演していたドラマでの気さくな兄ちゃん振りから、徐々にやんちゃなイメージになっていきました。

俺らの旅はハイウェイ

nagabuti.jpg
著書「俺らの旅はハイウェイ」は、,1981年に八曜社から出版された初めての単行本です。

長渕剛の生い立ちから、ギターへの目覚め、そしてプロを志すまでが書かれています。しかも幼少期の写真付き。
最初のデビューで挫折したことや、福岡のライブハウス「照和」での日々…。また、最初の奥さんである石野真子とのなれそめまで記してあります!

今は絶版なので古本屋などで見つけるしかないのですが…。

俳優として

俳優としても、『家族ゲーム』や『とんぼ』『しゃぼん玉』等のドラマ、『オルゴール』や『男はつらいよ・幸福の青い鳥』『英二』等の映画に出演していますよ!(^^)

tonbo.png

ポリープ

デビューの頃は、現在とは異なって結構透き通った発声で歌っていたんだけれど・・・自分が作りたい楽曲のイメージとの違いに悩み、1980年代の半ばから発声方法を変える様になったんです。

ボブ・ディランの歌声への憧れから、焼酎やルゴールの原液で何度もうがいをして、歌手の命でもある喉を焼き切ったそうです・・・。すごい執念ですね・・。でも、そう簡単に声質は変わらなかったそうです。

長~いライブ活動を続けていく間に、透き通った声は消えて、しわがれた声へと変わるのです!
そこがいいんですけどね。
こうして、長い間のキャリアで培われた独自の歌唱法や楽曲のスタイルは、10代から中高年層までの範囲の広い年齢層で沢山のファンを惹きつけたのです。

でも・・・そうした荒療治や歌唱法をしたことから、喉にポリープが出来たのです・・。
だけど、ポリープを取ると声質が変わると医師に宣告されて、声質を変えたくない長渕さんは、悩んだ末そのポリープを取らずに今の声質を保っていると。
自分のスタイルを貫くタイプですね~、男の中の男です!

ジープがお好き

小さい頃からジープがお好きで~す。
ジープは、こんな感じの車です↓

hama-.jpg

その頃に、取材で『H1は鉄が走っている感じ、あれは軍用車、H2はオシャレに乗れていい』と一度H2をゲットしていますが、桜島のコンサートの時期に「選ばれし者が乗る車」「四輪駆動の王」とアメリカのセレブからも好評のあるH1HUMMERハマーに買い替えちゃいます。

シンガーソングライターとしての道

12.jpg

シンガーソングライターとしての道を歩むきっかけとなったのは、高校時代に生で見たs、拓郎さんのコンサート!

これを境に拓郎さん、更には加川さんや友部さんと言った、当時売れっ子だったフォークシンガーの歌に影響を受けていく事になるんですよ~。

大学進学後は洋楽も聴きますが、基本的には1960~70年代の、日本のフォークシンガーからの影響を強く受けている様です。そういうのありますよね、私も・・^^

中3のとき

音楽が長渕の楽しみであった。吉田拓郎(長渕と同郷)や加川良、友部正人、
遠藤賢司等のフォークソングを好んで聴いていた。
「自分もいつかはミュージシャンになりたい」と言う願望もあったのか、
中学3年の正月に3000円のガット・ギターを購入し、鉄弦を張り思いのままに
好みの楽曲をコピーしていったのである。

「レオン」

子供のころのあだ名は「レオン」。
愛犬はホワイト・スイス・シェパードの「レオ」。愛犬を歌った曲もある。
現在でこそ肉体改造で筋肉質の体になっているが、出生後まもなく、インフルエンザで生死の境をさまよっていたと言う話がある。幼い頃の長渕は体が非常に弱く、よく喘息発作を起こし、病院通いが欠かせなかった。

幼少期から

11.jpg
警察官の父親・邦治(くにはる)と母親・マス子の長男として、1956年9月7日、当時の鹿児島県日置郡伊集院町(現・日置市)にて生を受けた。上に姉がいる2人姉弟。兄がいたが乳児期に病死している。
鹿児島南高校の情報処理学部の2期生として入学した長渕は、「ある意味模範生徒」だったらしい。というのも髪型が学校の風紀に違反しており、校長から「長渕君みたいな髪型にしてはいけないよ。」と全校生徒の前で注意を受けたという。高校には最初のうちは成績も良かったが、徐々に落ちていき、卒業するころには、下から数えた方が早い成績まで落ちたという。